一日7000歩大作戦

2022-10-19
作者:田中 由香里

「まぁ〜、なんてかわいいワンちゃんなの」

「本当にかわいいなぁ。美紀、この犬どうしたんだ?」

十年近く前まで、ずっとシェパードを飼っていたじいちゃんは大の犬好き。

私が連れ来た豆柴の子犬に目をキラキラさせた。

「このワンちゃんはね、とある事情で保護されていて、里親を探してたの。だから、私が引き取ったんだよ」

「保護されたての。いったいどんな事情があったんだろうね。かわいそうにね。こんなにかわいいのに……」

子犬を抱き上げ、話しかけるように祖母が言う。

「でも、美紀。お前仕事もしているのにこの子の散歩とか、世話は大丈夫なのか?ちゃんと面倒見てやらないと、かわいそうだぞ」

長年犬を飼っていたじいちゃんは、飼い主の責任を熱く語り始める。

最近は、まったくと言っていいほど話さなくなっていたのに良い兆候だ。

「もちろん私だけじゃ無理だよ。じいちゃんとばあちゃんにも、協力してほしい。っていうかじいちゃんたちにお願いしたいの」

「いやいや、もうわしらは無理だ。散歩なんて毎日行けないよ」

じいちゃんは首を横に振って、理由を並べる。

「無理なときには、庭で遊んでやるだけでもいいから」

「あなた、いいじゃない。こんなにちっちゃい犬なら大丈夫よ。二人で散歩に行きましょうよ」

しばらくの間押し問答があったが、目の前の子犬の愛くるしい姿に負けてじいちゃんが言った。

「う~ん、そうか。ちょっと心配だけど、美紀とお前がそこまでいうなら仕方ないな」

そのあとじいちゃんは、この子犬に「まる」と名前をつけた。

まるく収まるように、という意味らしい。

以前よりも会話するようになったし、まるにせがまれて動くようにもなった。

よしよし、良い方向に向かっているな。

実は、この計画は祖母と私が水面下で進めていた。

町工場を営むじいちゃんは、七十歳くらいまでは毎日欠かさず工場に足を運び機械に触れていたのだが、長男に任せてからは隠居。

すると見る見るうちに老け込んでしまったのだ。

数年前に脳梗塞で倒れてからは、大好きだったゴルフからも遠のいてしまい、最近は定位置で一日中テレビを観ていた。

毎日、全然歩かないし、ほとんど話もしない。

「このままじゃ運動不足で足腰も弱って認知症になってしまうよ」


「じいちゃんを『一日7000歩』歩かせる」

これが、私のミッションだ。

ネットで色々調べていたら、ウォーキングは足の衰えを防ぐだけじゃなく、認知症の予防にもすごく良いらしい。

よく一日一万歩っていうが、高齢者は7000歩程度を目標にすればいいともあった。

何か良いアイデアはないか。

考えた末に思いついたのが、もう一度犬を飼うことだった。

犬を飼っていたころは「おっ!散歩に行く時間だ」と意識していた。

大きなシェパードをずっと飼い続けていたけれど「犬の世話が負担なってきた。次はもう自分が看取ってやれないかもしれない」

と最後に看取ったあと、犬を飼うのをやめたらしい。

でも、賢くて小さな豆柴なら、じいちゃんでも気軽に散歩に行けるだろう。

まるが来てからというもの、じいちゃんとばあちゃんの生活が一変した。

じいちゃんはもともと凝り性で動物好き。やり始めたら止まらない性格に火がついた。

長く手入れをしていなかった庭の芝を刈り、まるがのびのびと遊べるスペースを作ってやったり、ドックフードはどれが一番良いかとお店をハシゴしたりと、毎日本当に楽しそうだ。

そういえば、私が子どものころも、ブランコやら砂場やら作っては遊んでくれたな。

いろんなところに連れて行ってくれたし、あの頃のじいちゃんは本当にアクティブだった。

「ばあさん、そろそろ散歩の時間だな。まる、おいで!行くよ。今日も7000歩は楽勝だな。たまには美紀も一緒においで」

ポケットからスマホを取り出し、歩数を確認するじいちゃん。

なんと知らぬ間にガラケーがスマホに変わっている!

喜ぶまるが、じいちゃんの足元にまとわりついている。

これなら私の花嫁姿も見せてあげられるかな~なんて一人でにやけているうちに、気がつくと二人と一匹はキレイな夕日に照らされ、どんどん小さくなっていた。

「じいちゃ~ん、ばあちゃんちょっと待ってよ~。元気になりすぎだよ」

二人とも元気に長生きしてね。

心の中でつぶやいた。

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