喫茶フィドルへようこそ

2023-05-03
作者:伊藤有輝子

 カランコロン。

 ドアベルの音が鳴り響き、美咲は店内へと足を踏み入れた。

 こじんまりした店内には、壁に沿って小さなテーブル席が四つと真ん中に大きなテーブルが置かれている。中にいた数人の客が一斉にこちらを見た。

 な、なんだ?

 よそ者が来た、って感じか。

 雰囲気に押されながらも美咲が軽く会釈すると、客たちも軽く会釈した。

 隅っこの空いているテーブル席に座る。

「いらっしゃい」

 マスターが水とおしぼりを持ってきてくれた。

「モーニングでいいかな?」

 美咲は、たっぷりのバターが塗られた厚切りトーストが大好きだ。

「は、はい。じゃあそれで」

 一息ついて店内を見ると、お客さんはみんなおじいちゃんおばあちゃんばかり。

 あとから来たおばあちゃんが、大きなテーブルに座り、同席の人たちと仲良く喋っている。

 なるほど、地元の人たちのたまり場なのかな、と美咲は思った。

 昭和レトロというおしゃれな言葉が似合う喫茶店。店の前に置かれた『喫茶フィドル』と書かれた古びた看板をいつも横目で見ながら、美咲は通勤していた。

 この町に引っ越してきて間もない美咲は、まだ土地勘もなく知り合いもいない。

 昔から喫茶店のモーニングが好きだった美咲は、休日の朝、思い切って足を運んでみることにしたのだ。

 ほどなく、コーヒーと特に厚切りでもないトーストが運ばれてきた。

 昔ながらの喫茶店はコーヒーにこだわっている所が多い。

 どれどれと、美咲はコーヒーを口に運ぶ。

 うん、普通。

 次にトーストを食べてみる。

 うん、すっごく普通。

 なんだろう、けっしてまずいわけじゃないが、喫茶店のモーニングに期待するものとは違う気がする。

 あー、外れだったかー、と一人黙々と食べていると、目の前にお煎餅が置かれた。

「これ、お土産。ここに来る人みんなに配ってるん。よかったらどうぞ」

 先ほどやってきたおばあちゃんがにこにこしながら話しかけてくる。

「あ、ありがとうございます」

 そろそろ出ようかと思っていると、野菜の入った段ボールを抱えたおじさんが、お店に入って来た。

 おじさんは、慣れた手つきで大きなテーブルに野菜を並べ始める。

 なんだ、いったい何が始まるんだ?

 店内にいたおばあちゃんたちは待ってましたとばかりに野菜を手に取り、喫茶店は直売所になった。

「毎週土曜日はここで自分で作った野菜、売ってるんよ」

 農家のおじさんは日に焼けた笑顔でそう言った。

 なんでもありだな、この喫茶店。

 ちょっと面白くなって、野菜を買ってみることに。

 これはお浸しにすると美味しいよ、とかおばあちゃんたちが食べ方まで教えてくれる。

 野菜を買い、ご馳走様でした、と言って店をあとにしようとする美咲に、

「またいつでも来てね」

 となぜか、お客さんであるおばあちゃんが言った。

 次の週末も、美咲は喫茶フィドルに向かった。

「あ、おはようさん」

 今度はお客さんのおばあちゃんが先に挨拶をしてくれた。

 この間とおなじ、奥のテーブル席に腰かける。

 店内を見ると、先週とほとんど同じ顔ぶれだ。座っている場所もほぼ同じ。

 なんてことない普通の喫茶店だが、地元のお年寄りの生存確認の場所、もとい憩いの場になっているようだった。

 一人で家にいるよりここに来たほうが、他愛のないおしゃべりが楽しめるし、新鮮な野菜も手に入るし、ついでに料理方法まで教えてもらえる。

 ここは身も心も元気になれる場所なんだ、と美咲はコーヒーをすすりながら微笑まし気にやりとりを見ていた。

 美咲が喫茶フィドルの常連になるのも、そう遠くない話になりそうだ。

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