「参りました」
山本さんの対戦相手が降参し、周囲がどよめいた。
「さすが山本さんだ」
「山本さん、わしとも一戦どうだい」
みんなに囲まれてる山本さんを、離れたところから見つめる。
教室の端で、携帯電話を開く。息子の嫁の美穂さんからだ。
「お義父さん、大丈夫?一人で帰って来れる?」
「うるさい、帰れるわい」
最近物忘れがひどくなってきた。家の鍵を失くしたり、バスを乗り間違えたり。そういうことが増えてきて、家族から「一度、病院に行ってみたら?」とか「施設もそろそろ考えなきゃね」とか言われるようになった。心配してくれているのだろうが、鬱陶しいったらない。
それに加え、趣味で通っている将棋教室に最近、山本さんが入会してきた。
山本さんは家も近所で、同い年。妻に先立たれてから息子夫婦に世話になっていることまで、何かと共通点が多いことからか、よく比べられる。美穂さんと山本さん家の嫁さんとの井戸端会議で話題に上がるのだそうだ。
「山本さんはベランダで野菜育てたりしてるそうよ。お義父さんも、何か趣味でも見つけたら?」
美穂さんがこっちを見る。
「この間、仕事に行く途中、山本さんを見かけたんだけど、早朝に散歩してたんだ。やっぱり動く人は若々しいよね」
息子がこっちを見る。
山本さん山本さん……、うんざりだ。
美穂さんの電話を切ると、ふと人の気配を感じた。顔を上げると、山本さんが通りかかったところだった。私の電話の声が聞こえていたのか、少し気まずそうに「はは」と頭を下げて中途半端に笑った。
何がおかしいのか!同い年のくせに年寄りを見るような目をして!
「山本さん、さっきの勝負、さすがでしたなぁ。私なんかはもうてんで駄目ですわ。ボケちゃって。なかなかやっかいなもんだよ」
「そうですかぁ、私も家族からうるさく言われるもんで、予防のために頑張ってはいるんですが」
「予防?何をされてるんです。手遊びや散歩なら私もやってますがね、あんなん効果あるんだかないんだか」
「私は将棋好きなこともあって、ゲームっぽいものに惹かれるとこがあってね、最近はよく『脳トレパズル』をやっていますよ。はじめは孫がくれたんですが、やってみたら点数も出るし、制限時間の中で問題を解くのは緊張感もあって楽しいですよ。どうです、試しにやってみられては」
「脳トレ?あぁ、聞いたことはありますがね…」
それからというもの、本屋でもテレビでも新聞でも、「脳トレ」とあるとなんとなく目にとまるようになってしまった。
「お義父さん、また将棋教室行くの?ついて行こうか。送り迎えだけでも…」
美穂さんの言葉を振り切って家を出る。いつものバスに乗ろうとしたら、『有名教授の脳トレ、認知症予防に効果抜群!』と側面の広告が目に飛び込んできた。
教室に着くと、吉岡さんを中心に輪が出来ていた。吉岡さんは将棋教室の人気者で、いつもみんなの中心にいる。
「何しているんです」と近づいていくと、吉岡さんが、「これ、この間山本さんに教えてもらったんだけどね、よかったらみんなやりましょうよ。楽しいのよぉ」と、雑誌を開いて、手渡してきた。
そこには、脳トレパズルが載っている。
「お金の絵を見て、暗算でいくらあるか答えましょう…?」
なんだ、こんな簡単なものなら誰にでもできるじゃないか。
えぇと、千円札が三枚、五百円が一枚、百円玉が六枚、十円玉が四枚に、五円玉が一枚、一円玉が二枚……えっと……。
「やってみると意外に難しいのよぉ」
吉岡さんの言葉に、みんながわらわらと覗き込み、うんうんうなる。
「三千…四千、ひゃく…四千百…よん、じゅう…なな!」
私がやっと言うと、周りがおおっとどよめいた。
「すごいな、田中さん!」「計算が早いのねぇ」
みんなに褒められ、鼻を高くしていると「おっ、脳トレしているんですか?どうです」と山本さんがやってきた。
「これはなかなか楽しいですな。私もやってみますよ」
素直にそう伝えると、「脳トレ仲間が出来て嬉しいです」と目じりを下げた。
それから毎月その雑誌を買いに行っては、載っているパズルをやるようになった。タイムを見せ合い、私のほうが早いと嬉しかったし、遅いと悔しかったので、次こそはと鼻息を荒くした。山本さんより早く解けるようになりたくて、本屋に行って脳トレパズルの本を買い集めて、家でもするようになった。
「参りました」
周りがどよめく。
「いやぁ、さすがだなぁ」
「二人の勝負はいつも見応えがあるわ」
脳トレパズルをしているうちに、いつしか私は山本さんの良きライバルとなっていた。
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