「なぁ、吉田さんの事どう思う」
高谷は静まり返ったオフィスで俺に背を向けたまま話しかけてきた。
「なんだよ急に」
突然の機器トラブルにより、取引先の対応に追われ深夜残業をしている。
「吉田さんってさ、美人だし、肌もその辺の若い子よりきれいだし、スタイル抜群で仕事もできる。ああいう人を『美魔女』っていうんだろうなって思ってさぁ」
社内でも幾度となく、吉田さんの事を噂している男性社員の声を聞いてきた。
「俺は少し苦手だな。前にすれ違いざまに吉田さんが落としたペンを拾おうと屈んだら、「ありがとう」って声がして、すぐ近くで吉田さんが立ったまま、俺のことを見てたんだ。普通しゃがむなり、拾う振りくらいはするだろ」
嫌なことを思い出して顔をしかめる。
「吉田さんは優しいよ。俺が仕事でミスしたときも、1人で頭抱えてたら心配して相談に乗ってくれたんだ。お前のはなんか、勘違いだって」
高谷は上ずった声で吉田さんがいかに良い人か、語る。
「だからさ、やっぱり吉田さんみたいな人を美魔女って言うんだと俺は思うよ」
俺にはなんとなくわかる。吉田さんが俺には嫌な感じで、高谷には優しい理由。
高谷はイケメンだし、性格も明るく、ちょっと抜けているところもあるけど友だち想いで今日もこうして俺の残業を手伝ってくれている。
一方で俺は見た目が良いわけでも、周りに好かれる性格でもない。人見知りで、社内で雑談ができる相手といえば、高谷くらいだ。趣味も無いから仕事ばかりしてきた。
「まぁ、いいよそれで。そんなことよりちょっと疲れたな……甘いものが欲しい」
「俺、何か飲み物買って来るよ」
高谷が買ってきたのはブラックコーヒーだった。
「さっき甘いもの欲しいって言ったの聞いてた?」
「たしかに、疲れが溜まると体や脳がエネルギーを失って、血糖値が下がるから甘いものを食べると元気が出る。が、それは一時的なものだ。本当に元気になりたければしっかり目を覚まして、早く終わらせて帰って寝るのが一番。ということで、ブラックコーヒーだ」
それからまた黙々と仕事に集中して、日付が変わるころ、高谷が急に大きな声を出して立ち上がった。
「あっ!」
「なんだよ急に、驚くだろ」
「俺、今日はもう帰らなきゃ。悪いな、後は1人で頑張ってくれ」
「急用か?悪かったな、付き合わせて」
慌てて帰り支度をしている高谷の手に握られたスマホの画面に、吉田さんからの着信が表示されているのが見えた。
はぁ、なんだそういうことか。
ちょっと歳の差はあるけど、まぁたしかに吉田さんは実年齢よりずいぶん若く見える。30代、いやぎりぎり20代後半と言われても信じるし、高谷のさっきの褒めようだ。前から気になっていたのだろう。
「ほんとごめんな、じゃ、後は頑張れよ!」
嵐のように高谷が去った後、コーヒーの缶を持ち上げたが、口を付ける気にはならなかった。
「…ちょっと休憩するか」
誰にも言っていなかったけど、今日は俺の誕生日だ。なんとなく自分のスマホを確認する。
誰からも、なんの連絡も来ていない。
給湯室の自販機で、あまいカフェオレを買ってオフィスに戻った。
扉を開けるとき、中に人の気配を感じた。今日はもう誰も残っていないはずなのに…。
勢いよく扉を開く。
「吉田さん?」
吉田さんは満面の笑みで、手にショートケーキを持って近づいてくる。
「お誕生日おめでとう、中沢くん。遅くまでお仕事、お疲れ様」
手に持っていたスマホが震え、画面に目をやる。
「吉田さん、前にペンを拾ってもらったときに一目惚れしたんだって!頑張れよ!」
高谷からメッセージが入っていた。
深夜のオフィス、疲れて働かない頭。
目の前にはショートケーキを手に、美しく微笑む吉田さん。
ああ、これが美魔女か。
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