『ぶら下がり健康器としてはもちろん、使わなくなったら、洗濯物干しとしてお使いいただけます!』
なんという売り文句だろう。たまたま見ていたテレビで流れだした通販番組に、チャンネルを回そうとリモコンを持っていた手が止まった。
実家にあったぶら下がり健康器を思い出す。たくさんの洋服が掛けられ、クローゼットのようになっていた。
「お前は、毎日家にいて、掃除もまともにできないのか。だからぶら下がり健康器がこんな風になるんだ!」
両親が夫婦喧嘩をしたら、毎回父が言うセリフ。私の家にあったぶら下がり健康器。誰もぶら下がらないけど、夫婦喧嘩の引き合いに出されるぶら下がり健康器。もう捨ててしまえばいいのに、ずっと置いてあった。子どもだった私はぶら下がり健康器が嫌いだった。
それが、どうだ。現在では、まるでそれが正しい使い方であるかのように売り文句にしている。
両親はあまり会話の多い夫婦ではなかったように思う。家族の時間に楽しい会話をした記憶も少なく、厳しい父と、少しおっとりした母。夫婦喧嘩といっても口を開くのは父ばかりで、母はほとんど黙っている。ぶら下がり健康器の話題になっても、母は一言、「ごめんなさい」と返すだけだった。早く捨てればいいのに。
私が小学校を卒業する年の冬、来年から着る中学の制服のサイズを確認するため、新しい制服に袖を通す。
「お母さん、制服、大きすぎない?ぶかぶかだし、袖が余ってるよ」
「いいのよ、それで。これから大きくなるんだから。背が伸びて、そうしたら制服だってぴったりになるわ」
私の家族は両親とも背が小さかった。だから、小学生の頃はよく、「お前は大きくなるんだぞ」「カルシウムをたくさん摂って、10時には寝ないと、背が伸びないよ」など言われたが、小学校卒業時点で背の順は前から数えたほうが早かった。父も母も、私も小さかった。
中学校入学式の前日、おじいちゃんが遊びに来た。
「やぁ、久しぶり。大きくなったねぇ」
「大きくないよ」
「いいや、大きくなったよ。前にあったときはこーんな小さかったんだよ」
「そんなに小さいわけないじゃん」
玄関で私とおじいちゃんが話していると、リビングから父の声が聞こえてきた。
「こんなの見られたら恥ずかしいだろ、なんで片付けておかなかったんだ」
ああ、またか。ぶら下がり健康器に服がかかっている事、そんなに言うなら、もう捨てればいいのに。
「なんで捨てないんだろう」
私の呟きに、おじいちゃんは大きな手を私の頭にのせ、答えた。
「あれは、お母さんが昔、佳子がまだ小さい時に、佳子が背が伸びますように、元気で、健康な子に育つように、って買ったんだよ」
「へぇ、知らなかった。なんで言ってくれないんだろう」
「お父さんと喧嘩になったのさ。今どきぶら下がり健康器より良いものがあるんだから、って。それでお母さん、拗ねちゃったんだね」
だから捨てなかったのか。あんな、夫婦喧嘩の原因みたいなもの、どうしていつまでも置いてるのかと思っていた。早く捨てればいいのに、ってそればっかり思っていた。まさか私のために買ったものだとは、考えもしなかった。
次の日、入学式の朝。私はぶかぶかの制服に身を包む。
「よく似合っているね」
「うんうん」
父と母は、柔らかく笑っている。
私は、昨日、おじいちゃんが来たことで洋服が片付けられたぶら下がり健康器に向かって振り返り、足をかけ、両手で持ち手を掴んだ。腕や背中が伸びて、少し痛くて気持ちが良い。
「私、きっとこの両足が床につくくらい、大きくなってみせるよ」
それから毎日、ぶら下がり健康器にぶら下がった。成長期が来て、身長は伸びた。クラスでは真ん中より少し後ろくらいだったけど、健康診断の度、喜ぶ両親の顔を見るのはうれしかった。
『ぶら下がり健康器としてはもちろん、使わなくなったら、洗濯物干しとしてご使用いただけます!』
止まっていた手を動かし、テレビの電源を切った。
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