腹八分に医者いらず、とはよく言ったもので。
人間、ご飯を食べられなくなったら、人生の楽しみの半分はなくなったも同然だ。
美味しいものを食べたい、あれもこれも食べたい。もっと食べたい。
食べ過ぎは健康に良くないと、重々わかっているはずなのに
どうして食欲というやつはコントロールがきかないのだろう。
一時期は頑張って自炊をしていた楓だが、ついつい面倒くさくて、最近は手軽なものですませている。朝は甘いパン、昼はコンビニ、間食にアイス、そして夜は飲み会つづき。
最近胃にチクチク痛みを覚え始め、疲れているのかしら、と楓は思いつつも食欲には勝てず、ついいつも自分の好きなものばかり食べていた。
「ただいまー」
父和夫の古希のお祝いをするため、久しぶりに実家に帰って来た楓。母加代子は、料理が得意で、腕によりをかけてせっせとご馳走を作っている。
「あれ?あんた、顔色良くないよ。吹き出物もいっぱいやん」
楓の顔を見るなり眉をひそめて加代子が言った。
「えーそう?最近飲み会多いし、甘いもん結構食べてるからかな。」
大丈夫大丈夫と手を振って、楓は自分の椅子に座る。
テーブルには所狭しと並べられた料理の数々と和夫の好きなお酒が並んでいる。
「お誕生おめでとう!」
さぁ、どれから食べようかとお箸を伸ばした時、
あれ?なんか気持ち悪い?
最初は胃もたれかなぁくらいだったのが、どんどん気分が悪くなり、座っていられないほどに。
「ごめん、ちょっと無理やわ。休んでくる」
「ええー?」
目を丸くする加代子を尻目に、楓は2階の自分の部屋へ行くと、ベッドに倒れこむ。
しばらく休んでいたらましになるだろうと思ったが、甘かった。
症状はどんどん悪化するばかり。
「やば…きもちわる…」
トイレに行こうと立ち上がると、ぐらッと頭が揺れる。
”はきそう”
加代子にラインを送ると、1階から加代子が飛んできた。
「めっちゃ気持ち悪いんやけど」
言ったところでどうなるわけでもないが、言わずにはいられない。
座っていることもできず、身体をくの字に折り曲げ、加代子が用意したゴミ袋に顔を突っ込む。
どうあがいても自分の身体の中がコントロールできない状態ほど恐怖なことはない。
いよいよ我慢の限界を感じ、
「あかんわ…救急車よんで」
と息も絶え絶えに加代子に告げた。
「ええ?!救急車って、あんた。もうちょっと様子見てみたら…」
「いや、無理。ほんま無理。」
「あの、気持ちが悪いって言ってるんですけど、そんなんでも来てくれるんですか?」
加代子が遠慮がちに救急に電話すると、すぐに救急車がやってきた。
この時ほど、救急隊員が頼もしいと思ったことはない。
すぐに部屋に入ってくると外へ運び出され、救急車に乗せられる。
加代子も一緒に乗り込む。必然的に、一人ぽつんと家に残される和夫。
救急病院に運び込まれ、点滴を受けてるあいだも気持ち悪すぎて、ずっとうなっている楓。
そんな楓の手をにぎり、ずっとそばについている加代子。
2時間くらいの点滴がおわり、
「急性胃炎ですね、しばらくは消化の良いものを食べるようにしてください。帰っていいですよ」とあっさり追い出される。
生まれて初めて加代子に車椅子を押されながら病院の出口に向かう。
いや、これじゃ反対やろ…と楓は情けない思いでいっぱいになった。
帰りのタクシーの中で、日付は変わり、和夫の誕生日は過ぎて行った。
「ほんまに死ぬんちゃうかと思ったわ。もうあんな思いはさせんといてや」
と楓は後で加代子にくぎを刺された。
せっかく加代子が用意したご馳走を目の前にしながら、何も食べることが出来なかった。
それから一か月はおかゆや消化の良いものしか食べられない日々は、食いしん坊の楓にとっ
てなんとも耐え難いことだった。
若い頃とは違うのだ、暴飲暴食したら、本当に痛い目を見る。
とにかく親に心配かけることだけはやめておこう。
これからは『腹八分』!
楓はそう心に誓ったのだった。
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