ほっこりスパイス 【作者:石田里沙子】

屋上へとつながる階段を重い足取りで上がり、扉を開けた。

同時に、少し冷たい空気が私に向かって吹き込んでくる。

「ゔっ……」

秋の夜長を感じさせる季節。夜はだんだんと肌寒くなってきた。

大きく深呼吸をしてみる。外の空気は社内の重々しい空気とは違って爽やかである。

屋上の手すりに手を添える。ふと腕時計を見るとすでに十九時を過ぎていた。

「はぁ……」

顔を上げ、夜空を見ながら大きなため息をついた。

今日は会議や商談などで朝からずっと何かと追われる一日だった。

やっとのことで最後の商談が終わったと開放感に浸っていたら、明日会議で報告する資料がまったくできていないことに気づいてしまった。最悪だ……。

社内には、私と同じようにこんな仕事になっても仕事の終わらない者たちが溢れていて、どんよりとしていた。嫌な空気に押し潰される前に慌てて避難してきた。

あの重々しい空気が漂う場所に戻りたくないけれど、さすがに冷えてきたし、早く資料を作らないと帰れない!

心の中で葛藤していると、誰かが屋上の扉を開けた。

「いないと思ったら、またこんなとこでサボってるの?」

同期の美穂だった。

「サボってない!ちょっと息抜きしてただけ! もう戻るところよ」

「本当かな? 真緒は息詰まったらいつもここに来るよね?」

そう言ってそっと紙コップを渡してきた。

受け取るとじんわり温かくて、なんだか甘い香りがする。

「何? これ」

「ホットシナモンドリンク。体、温まるよ。ただでさえ、寒がりなんだから。こんなとこにいたら風邪引くよ」

美穂は同期の中でも飛び抜けて頭が良く、それでいて気が利く。入社時からすでに「優秀だ」と認められていて、尊敬する反面、少しの嫉妬心もあった。

だから、彼女には極力関わらないでおこうとしていたのに……。

「あ、ありがとう。美穂ってなんだか……お母さんみたいだね」

「よく言われる。一人で妹と弟の世話をしていたらいつの間にか母親みたいになっていたの」

美穂は、どこか寂しそうな顔をしながら笑った。

美穂の両親はもういないと人伝に聞いたことがある。

「こ、これ自分で作ったの?」

気まずい空気になりそうだったので急いで話題を変えた。

「うん。少ない材料で簡単に作れるから、いつでも飲めるように用意してあるの」

「へぇ、そうなの! でも、なんでシナモンなの? 体を温めるといえば生姜とか唐辛子が思い浮かぶけど」

「そうだよね! スパイスのイメージが強いシナモンだけど、実は漢方薬としても使われているらしくて、漢方の中では『桂皮』といって体を内側から温めてくれるのよ」

美穂は本当に物知りだな……と心の中で呟く。

「今、物知りだなって思ったでしょ。妹と弟が何かと体調を崩すからいろいろと調べてみては試してきたの」

「バレたか。でも、美穂はなんでもできてすごいよ。私なんかこんなんだからさ……」

すると、急に強い風が吹き始めた。

「寒くなってきたし、そろそろ戻ろう!私は資料ができるまで帰れないからこれから長期戦になるな~」

苦笑いしながら言う。

「私、手伝うよ!そのほうが真緒も早く帰れるでしょ」

「えっ?」

そこまで深い関係でもなかったから手伝ってくれるなんて思ってもいなかった。

「同期なんだし、大変なときは助け合わないと! ホットシナモンドリンクだっていつでも作るよ!」

戻るなり、美穂は残業しているほかの人の分までドリンクを作って配った。私の資料作りも嫌な顔一つせずに手伝ってくれた。

なんだか、体だけでなく心までじんわりと温かくなった。

あれ以来、大好きになったホットシナモンドリンク。

このことがきっかけとなり、私は美穂とよく話すようになった。

美穂からレシピも教えてもらい、今ではドリンクをおともに仕事をしている。

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作者:石田 里沙子