自分が死ぬ夢っていい夢らしいよ

作者:藤枝 紫音

 自分が何がつらいかわからない。物心ついたころには、何かに苦しんで、何かに怯えて、漠然とした生きづらさを胸に抱えて生きていた。最初にそれが現れたのは、眠りに対してだった。

 疲れているのに眠れない。明日への不安。今日への後悔。過去への懺悔。ベッドの上の一人反省会は大いに盛り上がり、枕を濡らし、いつしか涙も出ない朝を迎えていた。まぁ、といってもいずれは体力の限界が来て、眠れているのだから、きっと自分は不眠で悩む人間より幾分もマシな生活を送っているのだろう。

 睡眠薬に手を出し始めたのは、高校の頃だったと思う。一人反省会に嫌気がさして、無理やりにでも眠ってしまいたかった。薬を渡した医師は「ちゃんと適量を守るように」と厳しく言っていた。

一緒に住む父は俺が睡眠薬を飲んでいると知ると、奇声を上げながら俺から薬を取り上げた。その後は父に隠れてずっと飲んでいた。

今日も、薬を飲む。

 気がつけば、葬儀場にいた。どうやら誰かが死んでしまったらしい。周りを見渡す。知らない顔たちが黒い服を着ている。

 ここにいる人たちはみんな死人だ。

 根拠はない。ただ無意識に思った。

 後ろに並んだ椅子に座って前でお経を読む坊さんの頭をぼんやりと眺めた。

 やはり、葬式は慣れない。どこか非現実的な気がして、しかしそれは現実で、そわそわとしてしまう。中学のころに死んだ母の葬儀を思い出す。あの時もこんな感じだった。

 母はなぜ死んだんだっただろうか。父は母の死をあまり詳しく話したがらなかった。そういえば、睡眠薬を飲んでいることを知られたあのとき。父は泣いていた。泣いて俺に何かを言ったのだ。

 しばらくして焼香の時間になった。知らない誰かの後ろに並び、順番を待つ。視界が晴れて、遺影と目が合った。

「俺じゃん」

 瞬間、視界がやけにクリアになった。周囲の顔が良く見えた。祭壇に進む。遺族に向かうと、その中には母の姿があった。

あぁ、そっか。やっと死んだのか。

 遺影へと向き直る。

 後ろから見ていた誰かの動きをマネをして、焼香を行った。通夜は滞りなく、進んだ。

 俺はなんで死んでしまったのだろうか。何も思い出せない。最後に何をしていたのだろうか。事故にでもあったのだろうか、それとも何か事件に巻き込まれたのだろうか。そういえば、睡眠薬をずっと飲んでいたからかもしれない。過量服薬し、寝ている間に嘔吐をし、窒息死することがある、と聞いたことがある。誰から聞いたのだろうか。

「母さんは心が人より弱かったんだ」

 あぁ。そうだ。

「いつも何かに怯えて、薬を大量に飲んでいた」

 父さんから聞いたんだ。

「あの日も、いつもみたいに大量に薬を飲んで眠った。でも、寝ている間に嘔吐してしまったんだ。俺は隣で寝ていたが気づくことはなかった。朝、起きたら、母さんは隣で喉を詰まらせて死んでいたんだ」

 父さんは泣いていた。

「俺は母さんが薬で楽になれるならそれでいいと考えていたんだ。でも、それは間違いだった。ずっと、後悔しているんだ。話し合えばよかった。何にそんなに怯えていたのか、何がそんなに不安なのか。俺じゃ解決はできないかもしれない。でも、一緒に立ち止まって、一緒に悩んで考えて、少しずつ、一歩でも、足を進められたかもしれない。それで母さんを救うことはできたかもしれない。どうして向き合おうとしなかったのか。今もこんなに愛しているのに」

 俺は、俺に縋るように泣きつく父に何も返せなかった。

 目が覚めれば、アルコール臭い白が基調とされた部屋で、眠っていた。少しずつ意識が覚醒していき、身体からいろんな管が伸びていることに気がついて、何かとても苦しかった感覚を思い出した。

 ナースコールを押して、看護師と医師から話を聞き、自分が睡眠薬を過量服薬したことを知った。朝になっても起きてこない俺の様子を見に父が部屋に入って、呼吸が弱まっていることに気づいて、救急搬送されたらしい。医師が言うには、しばらくは入院とのこと。

「すぐにお父さん来るって連絡あったから、待っていてくださいね」

 看護師の声に「うげ」と顔をしかめた。怒られるんだろうな。

“俺は頼りない父親だが、もっと頼ってほしいんだ。お前のことが大切だから”

 夢でみた、遠い過去の記憶を思い出す。なんで、今になって思い出したのだろうか。わからない。でも、なぜだか、長い夢から醒めたような、何か靄みたいなものが晴れた気がしていた。なんでかはわからない。でも、もうそれでいい気がした。

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