「こ、これで許してください!」
目の前にイチゴのパックが差し出された。
「なんでイチゴ??」
絶えることのない口喧嘩。飽きることもなく繰り返されたそれを、先に諦めたのは母親のほうだった。
もういつから口を聞いてないかもわからないし、考える気も起きなかった。
きっと、最初はちょっとした喧嘩がきっかけで、気がついたら取り返しのつかないところまで来ていた。
母親は笑わなくなった。怒らなくなった。家事をすることもなくなったし、家から出なくなった。口を開いても小さく何かを呟くだけで、こちらに声は届かない。父親は見て見ぬふりをした。
なんとなく家に居づらくて、触るものみな傷つけるナイフのような心持ちで俺は街をうろつき、そこでぶつかった男に喧嘩を売った結果、慰謝料として出てきたのがパックにぎゅうぎゅうに詰められたイチゴだった。
「あ、もしかしてイチゴ嫌い!?」
男は俺の顔を見た。
「いや……まぁ、嫌いじゃねぇけど……」
好きでもない。
「ならよかった! じゃ、これで勘弁して! それじゃ!」
「え……」
俺は、走り去るそいつの背中をただ呆然と眺めることしかできなかった。
「あ! こないだのイチゴくん!」
「あ?」
学校帰り、突然声をかけられたと思ったら、こないだの男だった。
いや、あの一連の出来事で「イチゴくん」というあだ名をつけられるとしたら俺じゃなくてあんたのほうではないだろうか。
「ごめんだけど、今日はイチゴ持ってないんだよ……」
すごく申し訳なさそうに言ってくる。
「俺がイチゴが欲しくてたかったみたいな言い方やめてもろて」
「え、違うの?」
「違うわ」
「ふーん。あ、そうだ! こないだのイチゴ美味しかった?」
「あぁ。いや、捨てた」
そう言うと、突然両肩を力強く掴まれた。予想外のことに驚いていると、男は「食べ物を粗末にしちゃダメでしょうが!!」と大声を上げた。
「なんで捨てたのか納得のいく説明をしなさい! そして食べられることなくゴミ箱に捨てられた可哀想なイチゴちゃんたちに謝るんだ!」
「え……知らない人からもらった食べ物とか怖いじゃん……」
男は奇声を上げていた口を閉じた。
少しして「うん、君が正しい!」とまた大声を上げた。
ここまで来て、俺は一つの可能性に気づいた。
もしかして俺は変な人に絡まれているのではないだろうか。
「これからはイチゴだけじゃなく、食べ物を粗末にしちゃだめだよ? 食べ物だって命なんだからね!」
「あ、はい」
「よし、いい返事! じゃあ、これあげる」
そう言って男はポケットからピンクの液体が入ったボトルを出した。
「何これ」
「イチゴのスムージーだよ!」
こいつ、さっきの俺の話を聞いていなかったのか。
「イチゴはね、老化や病気の予防をしたり、中性脂肪やコレステロールを減らしてくれたり、血圧を下げてくれたり、あと……ほかにはなんだっけな、貧血の予防とか便秘解消とか、ストレスから守ってくれたりとか、なんかもうほんとすんごいんだから!」
「へー」
「もう! 真剣に聞いてないでしょ!」
「いや、俺健康だし。別に健康の悩みとかないし」
「そんなんじゃよくないよ! もっと自分のこと大事にして!」
こわいこわい。なんだこの人。早く逃げよう
スムージーを押し返し、逃げた。後ろから聞こえる声を無視し、とにかく逃げた。
帰り道、晩ご飯を買いにスーパーに寄って、腕にカゴを引っかけながら、なんとなく果物コーナーに向かった。色とりどりのフルーツの中にパックにぎっしりと詰められたイチゴが並んでいた。
「お母さんね、イチゴが大好物なのよ」
ふと、まだ幼かったころの記憶が思い出された。
「それにイチゴには素敵な花言葉もあるのよ」
「へー」
「イチゴの花言葉はね、幸せな家庭、尊重と愛情。あなたは私を喜ばせる」
気づいたらイチゴをカゴに入れていた。
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