「おばあちゃん! 『リンゴの実』って食べたことある?」
「みかちゃん、どうしたんだい?」
「絵本に出てきたの。リンゴの実を食べて眠ってしまうお姫さまのおはなし」
「あぁ、白雪姫のお話だね」
「そう。リンゴってジュースじゃないの?」
「おばあちゃんがみかちゃんくらいのころは、リンゴは皮をむいて食べたり、そのままかじったりして食べるものだったんだよ」
「かじる?」
「そう、ガブッとね」
みかは「リンゴ」を触ったことがない。
絵本に載っているリンゴの実は真っ赤で、丸くて、大人の手と同じくらいの大きさで、みかなら両手で丁度いいくらいの大きさだ。
かじった歯型がついていることもある。
しかし、それは絵本の中だけのものだと思っている。
みかの知っている「リンゴ」はパウチに入った、液状のものしかない。
ほかにも「ミカン」や「イチゴ」など、全部液体になっていて、中でもみかのお気に入りは「ブルーベリー」だ。
そう。この時代では、ほとんどの食べ物が液体に加工されている。
食材一つひとつが液体になっているものもあるが、それぞれの素材を組み合わせた「完全栄養食」のほうが人気がある。
「あなたの寿命をぐ〜んと延ばす!」
「長生きしたけりゃ、これ一つ!」
どのパウチにも派手なキャッチコピーが書かれていて、価格競争の中で販売されている。
それらすべてが「健康寿命を延ばす!」と謳われていた。
「不老不死」は科学者たちにとっての永遠のテーマだ。
世界中の科学者が何十年、何百年にも渡って研究してきたが、これといって効果的なものが開発されることはなかった。
科学がどれほど進歩しても、生命維持のためには栄養を摂らなければならない。
そこで、「いかに病気のリスクを下げ寿命を延ばせるか」に焦点を絞って研究が行われた。
最初に考えられたのが、不必要な栄養素を徹底的に排除し、必要な栄養素だけを効率良く摂る方法だった。
作物の栄養素は、皮などの普段捨ててしまう部分に豊富に含まれていることが多い。
真っ赤に色づいたリンゴも、実は中身よりも赤い皮に栄養が多く含まれている。
そこで、少々毒性のある種は薬品に利用し、種以外は芯も含めて丸ごと食品に加工した。
最初こそ敬遠されていたものの「無駄がない」「栄養価が高い」と少しずつ話題になり始めた。
加工することで腐ることなく長期保存できたことも、多くの人々に受け入れられた大きな要因だった。
これまで、毎日大量に出る食べ残しや賞味期限切れなどで廃棄処分される食品が多いことが社会問題になっていたため、その解決策としても取り上げられ、液体にされた食品の背中を押す形となった。
研究者たちにとっても、食品を加工する企業にとっても、マスコミや環境問題の運動家たちが思ってもみない協力者となったのだ。
こうして、実際に平均寿命が延び始めた。
「おじいちゃん、今朝は何を召し上がりますか?」
「ああ、ビタミンとたんぱく質、カルシウムが多めのものを頼むよ」
歯が少なくなり、食も細くなった高齢者にとって、必要な栄養素がギュッと詰まった「完全栄養食」は手軽で便利な魔法の食事となった。
また、忙しいビジネスマンや受験生もこれらを積極的に利用することで、仕事や勉強に充てる時間を手に入れた。
すべてが順調に運んでいるように思えた。
しかし、寿命が延び続けることはなかった。
噛まなくなったことで、脳が衰え始めたのだ。
噛むことによる刺激は、記憶に関係する「海馬」をはじめ、多くの脳細胞を活性化させていたのだが、液状のものばかり摂取していたことで、脳への刺激までが減ってしまったのだ。
そして、徐々に衰え始めた脳によって大事なことに気づくのが遅れた。
気づいたときには、噛む必要がなくなった歯が脆くなり噛めなくなってしまっていたのだ。
なんとかしなければ。
人々は、まず柔らかい「リンゴの実」を噛んでみることにした。
噛んだときの衝撃が遠い記憶を呼び起こすのに、そう時間はかからなかった。
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