チビ太から生まれ変わるために

2022-03-16
作者:石田 里沙子

「健太!好き嫌いせずにちゃんと食べなさい!そうしないと、大きくなれないし強くもなれないよ」

これは僕が幼少の頃、うんざりするほど母親からよく言われていた言葉。
    

僕は未熟児で産まれたこともあり、三兄弟の次男だったのに弟よりも体が小さかった。    

もちろん学校でも同級生たちより背が低かったので、背の順に並ぶといつも一番前。   

僕は物心がついたときから「健太」と呼ばれたことがなく、みんなからは「チビ太」と嬉しくもないあだ名でしか呼ばれていなかった。    

早くみんなみたいに大きくなりたい、チビなんて呼ばれることのない体になりたい…そう思っていた。   

しかし、僕は幼い頃食べること自体に興味がなく、それもあってか嫌いなものが多くて偏食がとにかくひどい子どもだったと思う。   

特に、野菜と魚は一口も食べようとすらしなかった。    

食べない理由はごく単純で野菜は苦いから、魚は骨があるのと生臭さが嫌だったから。
   

偏食が原因だったのかどうかは分からないが、体調も崩しがちで小学生ぐらいから休むことが多くなった。   

すると小学三年生の頃、学校から一人で帰宅しているときに同級生の斉藤剛士率いる悪ガキ軍団から「チビ太はずる休みばかりする!」「チビだから体調を崩すんだ」などとしつこく悪口を言いながらからんできた。   

僕はこのからみが鬱陶しかったのと、悪口を言われることには慣れていたので無視をしていたが、その日は母親の悪口まで言い出してきたので、さすがにカチンときてしまった。   

気付けばどう見ても同級生とは思えないほどガッチリした体型の斎藤剛士と度胸試しをすることになり、どちらの方が高いところからジャンプできるかを競うことになった。   

今から考えると、なぜそんなくだらない挑発に乗ったのか…と思う。 
  

僕と齋藤剛士は階段が何段もある神社で度胸試しを始めた。   

絶対に勝ってやるんだ!と意気込んでいた僕はどんどんと高い所から飛んでやった。   

しかし、調子に乗って飛び続けているとバランスを崩してしまって着地に失敗。  

次の瞬間、鈍い音とともに気付けば僕はアスファルトの上に倒れこんでいた。  

病院で診てもらうと足が骨折してしまったため、数週間入院するはめになった。  

どうせ斎藤剛士は学校中に俺はあのチビに勝っただの、あいつは調子に乗って骨を折りやがっただの言いふらして、さぞ勝ち誇っていることだろうと病室で想像していたら、なぜ僕はこんなに小さくて弱いのかと悔しくて涙が出でくる。  

「健太、退屈だろうからってお兄ちゃんがマンガ貸してくれたわよ!あれ?泣いてるの?」  

母が大きな荷物を抱えながら、病室に入ってきた。  

「なんで、なんで僕だけみんなより小さくて、体も弱いの?もう嫌だ!!」 

「そうね…。みんなより小さいのはお母さんのせいね。ごめんね。でもね、健太の骨はとても弱いってお医者さんがおっしゃってたわ。健太は野菜と魚もちゃんと食べないから大きくもなれないし、強くもなれない!これから、健太が大きくそして強い体になれるようにお母さんと頑張ろう!」

そう言われてから、母による食事改善が始まった。 

「食べ物には働きがあって、その働き方によって赤色・黄色・緑色と大きく3つのチームに分かれているのよ。赤色は体をつくる基になる、黄色はエネルギーの基になる、緑色は体の調子を整える基になるの」

と三色食品群の話をしてくれた。 

僕の場合は赤色と緑色が少ないから大きくなれないし、強くなれないとのことで野菜も魚もちゃんと食べられるように料理も工夫してくれた。

骨折したあのときは、骨の材料となるカルシウムとリンの吸収を高めるためにビタミンDを摂った方がいいとビタミンDが豊富な椎茸をたくさん食べるように言われたっけ…

母は僕のためにたくさん勉強をしてくれた。 

中学生になったときには母のおかげで僕は丈夫な体になり、背もぐんと伸びた。
 

母は今では、”食事改善のエキスパートおばちゃん”としてSNSで有名らしい。

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