僕の大切な宿題

2022-07-06
作者:ウダ タマキ

 僕は学校から帰ると、3回の「ただいま」を言う。

 1回目は母さんに。

「ただいまー!」

「おかえり。今日も宿題あるの?」

「もちろん。これから行ってくる」

 僕はいそいそとランドセルの中を探る。シワくちゃのプリントや消しゴムは出てくるけど、肝心の計算ドリルが見つからない。

「なんでこんなグチャグチャなんだよ」

「自分で入れたんでしょ」と、すぐに母さんがつっこむ。

「あった!」

 国語の教科書の間に挟まれ、息苦しそうにしている計算ドリルを発見した。

「雄星隊員、無事に救出しました! では、行ってまいりまーす」

「はいはい、いってらっしゃい」

 呆れた口調の母さんが僕を見送る。

 庭へ出ると、玄関脇に茂る生垣の金木犀の隙間を通り抜けた。その先には柴犬の豆太郎が眠っていて、いつも人の気配を感じてビクッと驚き目覚めるけど、それが僕だとわかると、すぐに尻尾を振って歓迎してくれる。

「マメー、ただいま。いい子にしてたかぁ」

「ワン!」

 これが2回目の「ただいま」。

 かまってほしそうなマメの頭をポン、ポンと叩いて「また後でね」と声をかけ、体についた金木犀の葉を払い落としてインターホンを押す。

「はぁーい」

 じいちゃんの声が聞こえるのと同じタイミングで、勢いよく引き戸を開けた。

「ただいまー!」

 3回目の「ただいま」は、ばあちゃんにも聞こえるように大きな声で。

「おかえり、雄星。今日の宿題はなんだ?」

「計算ドリル! ばあちゃんは?」

「居間にいるぞ」

「オッケー!」

 慌てて脱いだ靴が玄関で跳ねた気がしたけど、そんなことはお構いなし。僕は急いで居間へと向かった。

「ばあちゃん! 宿題! 今日は計算ドリルね」

「あら、おかえり。私にわかるかしらねぇ」

「一緒にやろっ!」

 僕は座卓の上に計算ドリルを広げた。今日はかけ算の応用だ。

 ばあちゃんが老眼鏡をかけて覗きこむ。

「じゃっ、いくよ。えーっと、63は、9かける何でしょうか?」

「7だろ。クシチロクシュウサンだから間違いない」

「じぃぃぃちゃん!」

 腕組みをしたじいちゃんが得意げに答えた。時々、こうやって口を挟んでくる。

「ばあちゃんと勉強してるんだから、邪魔しないでよー」

「すまんすまん」と、謝りながらもじいちゃんは嬉しそう。してやったりの顔だ。

「次、いくね。40は5に何をかければいいでしょうか?」

 ばあちゃんが指を折って数える。

「えぇぇっ、ゴシニジュウ、ゴゴニジュウゴ……ゴハシジュウだから、8かしら」

「せーかーい!」

「あんた、もうこんな難しいの習ってんのねぇ。ばあちゃん、頭が痛くなりそうだわ」

「いいじゃん! それ、頭を使ってる証拠だよ。さぁ、どんどんいくね」

 ここ最近、僕はこうして隣に住むばあちゃんと一緒に宿題をしている。

 先月、夕食のときに父さんと母さんが話しているのを聞いた。ばあちゃんが認知症になりかけてるって。

「生活に刺激がないからなぁ。昔から人付き合いも好きじゃないし。何か頭を使うことでもしてくれりゃいいけど……」

「父さん、それって算数の問題を考えるとかでもいいの?」

「ああ、もちろんさ」

 父さんのその言葉を聞いて、次の日から僕は学校帰りにばあちゃんちに行くようになったというわけ。

 はじめの頃は「今さら勉強なんていいよ」って、遠慮がちなばあちゃんだった。「俺が教えてやろうか」と、じいちゃんが割って入る。

「ばあちゃんに言ってるの! ね、少しずつ頑張ろうよ」

 きっと、息子の父さんが言ったら断られただろうけど、孫の僕には「仕方ないねぇ」ってオッケーしてくれた。

 認知症のことを母さんに聞いたら、いろんなことを忘れてしまう病気なんだって。

 いつか、ばあちゃんが僕のことを忘れてしまったら……それは絶対にイヤだ。だから、僕はいつも後回しにしていた大嫌いな宿題を真っ先にばあちゃんとするって決めたんだ。

 ばあちゃんが、いつまでも僕のことを覚えていてくれるように。これは、僕が僕に出した宿題だ。

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