「自分は健康だけが取り柄だから」
そう言って、私の父はいつも笑っていた。
実際に、父はとても健康だった。風邪すらひいたことがない、というぐらいだ。
病院を利用することは一切ないばかりか、薬すら飲んでいるところを見たことがないほどだった。
でも、私にとって父は健康だけが取り柄の人では決してなかった。
若々しく、わが父親ながらイケメンの部類だったと思う。
仕事で塾の講師をしている姿をたまに見る機会があったが、とても魅力的だった。
私が中学生になってから、父の動作が遅くなっていることに気が付いた。
父は、目を悪くしてしまっていたのだ。
加齢黄斑変性。それが父につけられた病名だった。
今でも病気の進行を遅らせることぐらいしかできないほどの難病で、二十年も前の話となると、もはや打つ手なしだった。
「あなたの視力は、失明する可能性はあっても、治ることはありません」
そうはっきりと、父はお医者さんに言われてしまったそうだ。
それから、父はみるみるうちに老いていった。
なにせ、病気にかかる前は、視力は両目とも1.5だったのだから。
生きがいでもある仕事ができなくなってしまったことが、父が老いた一番の理由のようだった。
どのみち、目がほとんど見えなくなってしまったとなると、日常生活に支障ばかり出る。
やれることがなくなった父は、家でひたすらラジオを聴くようになった。
「自分のやってきたことは、何も正しくなかったのかな……」
父は、そんなことを言って、集めていた健康の本などをすべて捨ててしまった。
どのみち父はもう本は読めないにせよ、なんだかとても悲しい光景だった。
それでも、父は視力を回復させることを諦めなかった。
私もそれに協力して、いろいろな情報を集めては実行した。
しかし、残念ながらというか仕方がないというか、父の視力は一向に回復しなかった。
そして父はさらに老いて、髪の毛は抜け落ち、難しい顔ばかりするようになってしまった。
「一緒にいた人、おじいちゃんだよね?」
同級生に父と出かけているところを見られていたらしく、あとでそんなことを聞かれたほどである。
そして、私が中学を卒業する時期に、父は亡くなった。
まだ四十九歳の若さだった。死因は、心不全。おそらく、目のことでストレスが溜まりすぎていたのではないか……そんな説明をお医者さんからされた。
死後わかったのだが、父の左目は完全に失明していたとのことだった。
私は今、自分が母親の立場だ。皮肉なことに、視力は眼鏡をかけないと生きていけないほど悪い。ほかの面でも、複数の基礎疾患がある。
父が生前言っていたような、健康だけが取り柄どころか、健康などどこにもない。
病院通いをするだけでなく、服薬も一日に何度もしなくてはならない。
それでも、私は幸せだ。不健康な自分を含めて、家族が受け入れてくれているからだ。
父は、幸せだったのだろうか、と思う。健康だったころは、間違いなく幸せだっただろう。
でも、視力を失ってしまってからは……そう考えると、胸が苦しくなる。
父にできたことがもっとあったのではないか。答えは、今でも見つからないままだ。
天国では、父が思う存分、塾の講師をしていることを願う。
「自分は健康だけが取り柄だから」
そんなことを言いながら。
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